2013年9月16日月曜日

その手に、持つべきもの……




 悟と彼女、レイカの出会いはありきたりであり、ありきたりではなかった。

 悟は偶然、彼女がアリス・ガーデンの野外特設ステージでギターを手に歌う姿を目にした。

 当時、ストリート・ミュージシャンが注目を集めていた時期に、彼女はとにかく普通じゃなかった。アコギではなく、ロックギターをアンプ一つかき鳴らして歌うのだ。その歌声は ” 歌 ” ではなかった、なんというか、文字にすればわかりやすいが ” 唄 ” である。 彼女の声がそのストリート全体を包むというか、街に響くというか、アンプから鳴り響くロック・ギターのそれよりも悟の心に響いた。けれどバンドでもないのにアンプを通してロックなギターサウンドだけを手に唄うその姿は滑稽で、普通に見れば失笑の対象でしか無い。けれど悟はレイカのことを、まるで一目惚れしたかのように見つめてしまった。

 それは、悟がなにか、レイカの持つ才能に惚れたというより、レイカに伝えられることが、自分にもあると、自分勝手に思い込んでしまったからだった。

 レイカから見た悟は、会場で自分を見てくれているたった一つの眼差しに、少しばかり照れながら、

「この人がいなかったら、私は唄う意味なんてあるの?」

と自問自答しつつ、本来ならば恥ずかしいこのステージを、何とか乗り切っていたのだった。

 実を言うとレイカは、このステージに本来バンドで出場するはずが、直前になってバンドのメンバー全員に裏切られてしまっていた。

 バンドのメンバーがっ去ったことに責任を感じ、自分のことを責めもした。説いた刺しもした。とにかくはじめは自分を責めた。

 その中で、応援してくれる人もいて、複雑な心境の中、なんとか自分だけで出来る形に楽曲をアレンジしてステージに立った。今日1日涙をのめば、ステージをこなすことでメンバーが戻ってくるような気がまだしていたし、お世話になった人に、こうしてステージに立つことを許してくれた人たちに申し訳が立つ。 言うなれば、割にあわない、いや、わりを食いながらレイカは必死で穴を埋めていたのだ。

 けれど、思いとは裏腹に、レイカのステージはその日で終わりを告げる。

 その後は続きやしなかったのだ……

 バンドのメンバーもなく、彼女の手元にはロックギターが、それもフェンダーあたりの温かいトーンのなるストラトならまだしも、強く荒い音が特徴的な攻撃型のレスポールしかなかったのだから。

 レイカは当時27歳。後ろなんて振り帰ってる場合じゃないし、とにかくプロとして活動したかったし、とにかく、そう、毎日がとにかくな希望を失わずに生きていくしかない時に、全てを失った気がしていた……

 けれど、レイカの視線の先に、何故か悟が現れた。

 どこか、悟にすがろうという気持ちが、少なからずレイカの中にふと湧いてきたのは事実だった。

 翌週、悟はレイカを街で見かけた。

 レイカはストリート・ミュージシャンを立ち止まり見ながら、とても寂しそうな表情を浮かべていた。レイカの手には、何もなかった…… 

 ギターも、何も……

 レイカは視線に気づき、目をやると、そこにはバツが悪そうに、けれどレイカと目が合うと少しはにかんだほほ笑みを送る悟がいた。

「なんですか……」

「いや、弾けばええのにと思うて……」

 八丁堀にはカフェが多い。その中で老舗といえば「イエスタデー」である。知る人ぞ知る、そう、あの世界的なアーティストの名曲の名のカフェだ。 そこで悟とレイカは初めてお茶をした。
 
 意外と音楽のことが好きな悟のことを知り、レイカは少し心を許していた。そして、そこからの流れは意外と早かった。

 レイカは、一人でいる時間が怖かった頃でもあったし、なにより、悟も過去の事と決別すべき時で、正直疲れ果てていた頃だった。そんな二人が、お互いの心に空いた穴を埋め合うことは決して不自然なことではなかったし、また、お互いにとって、傷を癒せるような言葉を掛け合えるタイミングでもあった。

 どれだけ笑っていたんだろう。

 バースタンドのような長椅子が並ぶ店内で、レイカと悟は並んで座り、80年代のロックの話で盛り上がっていた。悟は全然ギターが弾けなくて、しかも音痴で、音楽なんて才能はないとカメラに手を出したことを話すと「それ全然かっこよくない!」と笑いながら、音楽は情熱でうまくなるものだとレイカは畳み掛けるよに話し続ける。それをまた悟はこの上なく面白がって聞いて笑う。悟からすれば、自分に思いの丈の全てを語りかける女性の存在は久しぶりだったからだ。

 レイカはジャニス・ジャップリンの歌声に憧れ、けれど声があそこまでブルージーにしなびれるまでは時間が掛かるから、できることならハイトーンボイスが出る間はできる限り声量を活かして美しい歌声で歌おうとしていること。スタイルは自分らしさなんてわからないけど、背伸びして変な衣装を着るんじゃなくて、Tシャツ一枚でも通用するようなことでいいんじゃないか?とか、普通の、素のままの自分でいたいこと。自分がこうしていきたいという思いの全てを悟に話した。

 悟といえば、これだけたくさんの話をしてもらいながら、自分の過去になにがあったかを笑いながら話せるでもなく、そして、人を撮ることが怖くなってしまっている自分を恥じながら、彼女の話を、いつも思い切り笑えずに聞いていた。

 そしてそのことに、さすがにレイカも気づき始めていた。

 悟の自宅に夜になると現れるレイカ。その時間が数ヶ月過ぎた頃、楽しい時間は終わりをつげようとし、そのなかで、少しずつ、お互いに、どちらからともなく、自分が先に進むための、核心をえぐるような話を、一夜、二夜としていくのだった。

 深夜、ベットのシーツが無いことに気づき、少し外からの風が肌寒く、悟が目を覚ますと、レイカは、窓を開け、シーツにくるまって三日月を見上げていた。 座り込んだその姿は月明かりに照らされて美しく、白いシーツが彼女のさみしげな表情をより蒼くあおっていた。

 「私ね、他の人より、これまで運が良かったと思う。寂しい時にそばに誰かがいてくれたし、そのせいでやりたいことも全力でやってきたの。けど、ある日突然、誰もいなくなっちゃった。あなた意外…… もし、今あなたがいなくなったら、そう思うと、少し、怖くなってる。もう、半年もステージに立ってないし。」

 レイカはそういうと、いつも手に持っているスマホ、iPhone3Gの画面に目をやった。 

 この頃、iPhoneの普及とともに、twitterが流行りはじめていて、彼女の昔の仲間は続々とtwitterで近況をつぶやきはじめていた。友達に戻れるのか? そんなことを思いながら、かつての友が新たなバンドを始めたことを知ってしまい、フォロー、かつての友の近況を購読してみるのだが、友からはこちらをフォローしてはもらえずじまい。近況に言葉を送っても、なんの返信もなかった。

 ソーシャルネットワークというものは時に残酷だ。 

 人と人とを繋ぐはずが、かつての友、という限定詞がつくと、無視され続けるというこの上なくストレスの貯まる日常が待っている。 

 そんなかつての友人相手にしなければいいし、最悪かつての友からtwitter上で文句の一つも言われるならブロックして遮断、絶縁してしまえばいのだが、そういうことが出来ないから、レイカはレイカらしく、そうまで思いつめなくてもいい心を、抱え込んでいた。
 
 悟には、その後ろ姿が、どこか滑稽に見えていた。

 その手に持っているものを今すぐ捨てて、君が持つべきはあの日のギターだと、すぐに答えが出ていたからだ。

 けれど、自分だって、棚に並んだ一眼レフを、メンテもせずにほったらかしにしているわけで、その一言がどうしてもかけてあげられなかった……

 あくる日の午後、レイカと悟は携帯電話ショップにいた。悟もスマホを持とうと決めた。普通の携帯でもいいんだけれど、レイカの心の機微が少しでもつかめたらと、悟もtwitterを始めた。 そして彼女の、初めてのフォロワーになった。

 悟とレイカは、この日、twitterでも繋がったのだ。

 
 

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