2013年9月5日木曜日

悟と沙里。入りくんだ場所




 翌日、沙里は悟と二人で広島市内、紙屋町から八丁堀まで本通りを歩いていた。

 沙里は少しでも悟との距離を縮めたかった。焦りというか、公私混同しつつも悟を昼間の街へ誘いだした。普段どんな感じで撮影をしているのか、もっと企画のために知りたいと申し出たのだ。それもおかしな話ではある。渡(わたり)が持ちかけた企画通り、ウェディング用の撮影をすればいいだけの話だし、悟の創作活動の一端を、いつどんな時にシャッターを切りたくなるのかなんてことは、全く仕事とは関係がないからだ。

 悟は何も考えていないのか? すんなりとOKして街へと繰り出してきた。


 悟の少し後ろを歩いている沙里は、ずっとこの本通りが続けばいいのにと思うくらいうれしくて仕方がなかった。そして昨晩の事が胸を痛めた。別に渡(わたり)に抱きしめられただけで、抱かれたわけではないけれど。

 悟は意外と足早に歩いて行かない。 ふと立ち止まると、暫く何かを見つめ、また、歩き出す。その何かを見つめる横顔が、沙里にとっては美しく見え、このうえなく幸せな時間が訪れていたのだが、何度目かの後、悟は人す筋を裏通りに入ってしまった。

 「人通りが多すぎじゃよね。わしゃこっちんがすきなんよね。」

 悟はぶっきらぼうにそうつぶやくと、袋町へと歩いていく。
 これまで特に通りを意識したことがなかった沙里にとっては新鮮だったし、どうしてこの通りが好きなのかは、自ずとわかった気がした。
 小学校があるのである。街の商業エリアのど真ん中に、小学校。すごくきれいな建物で、嘘みたいに大きなグランドが広がっている。

 「ここに入って遊んでみたいと思わん? 絶対無理じゃけどさ、大人になったら。今の学校は校庭開放してないけえ。」

 シャッターをここで切るんじゃないか? と沙里は思った。けど悟はカメラを出そうとしない。そしてまた暫く校庭を眺めた後、また歩き出した。 沙里は悟の言葉に頷きながら、ただただ、後ろをついていく。

 人通りというものはひとすじ違うとこんなに無くなるのか?というくらい、平日、昼間の袋町は人気が少ない。クリスマスムードも、街には特に無い。

 ただただ澄んだ空気が、あたりを包み込んでいて、吸い込む空気の冷たさだけが沙里の頭を冴え渡らせてくれていた。

 その先を歩き、八丁堀までついた時、新天地公園の手前で悟は立ち止まり呟いた。

 「この先に行くんわ。まだ時間が早すぎるかの」

 そう、この先は流川、薬研堀という飲み屋街、いわゆる夜の街だ。渡(わたり)が昨晩話していた、噂が流れやすいエリアを、紙屋町から歩いてきてしまったことになる。

 この距離、紙屋町から八丁堀まではほんとうに短いのだ。
 歩いて普通に誰もが闊歩できる。ほんの30、いや一目散に本通りを突っ切れば15分程度か? 悟の気まぐれで、一つ通りを裏に入ったからといって、誘いだしたわりには一瞬だったなあ、と、沙里は物足りない思いを噛みしめる奥歯に感じながら、悟の次なる行動を待とうか、お茶にでも誘おうか、この一言を悟の背中を見ながら言い出せないでいた。ここでも沙里は迷う人なのだ……。

 「あがろうか、上へ!」

 悟は沙里の手をとった。

 何を言ってるのかよくわからないまま、いまどうして手をひかれてるのか、そのことも理解できないまま、沙里は、悟に手をひかれ、そう、しっかりと手を繋がれ、随分と今度は通りを横に移動する。
 
 八丁堀の端から端へ、今度は横移動だ。道を行くビジネスマンの視線が恥ずかしいくらい、昼間っから手を繋がれて引っ張られていく。沙里は下を向きっぱなしだった。 誰かに見られていたらどうしよう……。という思いも虚しく、その姿はしっかりと数名の同僚に目撃されてもいたのだが。

 5分程度だろうか?小走りに連れて来られたのはとあるビル。悟は沙里を引きずりながらエレベーターに駆け乗った。

 「空が意外と見えんと思わんかった? 紙屋町のちょっと前に、 原爆ドームがあるところ、あそこに相生橋っていう橋がある。そこからは空が広く抜けて見えるんじゃけどね。不思議なもんで、そこからここまでの間って、橋がないんよ。そうすると、急にビルに囲まれて、空がえらい狭もおなるんよ。本通りのアーケードも悪くないんじゃけど、あそこなんかもう通りに屋根があるけえさ、空がなんか、急になくなったみたいに思える。じゃけえ、さっきもひとつ裏通りに入ったんじゃけどね。 ここまで来ると、今度は逆に、このビルの屋上しか、空が見えんのよ。」

 悟はせきを切ったように話し続けていた。沙里の視線にはエレベーターの最上階近くのボタンが押されたことが目に入り、続いて各階のインフォメーションが目に入った。
 そのビルには映画館が入っていた。東京でも単管で流れるようなこだわりの映画が上映されていた。沙里もこの街に住み始めてから何度かその老舗の映画館には来たことがあったし、ああここか!と、このビルのことは知っていたけど、その映画館より上の階に、悟が言う空が見える世界があろうなんて思ってもみなかった。ビヤガーデンなんて季節でもないし。

 屋上の一つ前でエレベーターを降りる。そこはなんとも入り組んだ場所。商業施設が入り、その先に、飲食店フロアがあるのだが、そこへの連絡通路がなぜか一区画だけ空へと通づる場所なのだ。屋上でもないのに、ただそこだけ、なぜかワンフロアだけ屋外なのだ。

 こんなことに気づいている人がどれだけいるんだろう? 

 冬の午後15時。

 ゆっくりと降り始めた太陽が、真っ青な空に揺らぎながらこちらを照らしている。

 「冬の空のほうが、より赤く染まるような気がするんよね。」

 悟はiPhoneをジーンズのヒップ・ポケットから無造作に取り出すと、シャッターを切った。

 沙里は今日はじめてのシャッターが、彼の一眼レフではないことに驚いていた。そして、少し凍てついた唇が、時折ふく風邪に震えるように声を出した。

 「どうして……シャッター……この一瞬、だったんですか?」

 悟は吸い込んだ息を、深く吐いた。

 「なんども切ったよ、シャッターは。小学校でも、この目に。」
 
 悟はiPhoneに視線を落としながら続けた。

 「今伝えたい一瞬を、この世界に伝えるには、この道具はとてつもなく便利で、わしの思いを、わしのちっぽけなこの思いを、なんとか、この世界に届けようとしてくれるんよ。」

 沙里は悟が思ったより、iPhoneのような流行りの道具を使いこなしていたことに驚いたし、彼が本当に思いを伝えたい相手が、まだ自分以外にもいること。気持ちが自分の方に全部向いていないんだと、再確認してしまったようで、とても切なかった。

 あの日、新己斐橋の上で悟に撮られた写真の出来栄えに、心を奪われた自分としては、なんだかとても悲しくて、その場を走り去りたかったけど、沙里は、ただただ、悟の横顔を、じっと見つめることしか出来なくて、次の言葉が出てこなくて、悟が見つめるiPhoneの視線の先が気になって仕方がなかった。



二千八年 八月 

 悟のベットに潜り込んで、まとわりついて眠り込んでいる彼女はレイカ。

 どうしてこうなったのか? 悟にはなんとなくわかっていたけれど、レイカの行動の全ては悟の予想をはるかに超えていて、とんでもなく自由奔放で、いつも心ここにあらずだなあと、レイカを抱いていても感じて、いや、とらえどころがない、悟からするとものすごくこれまで付き合った女性の中でも難しく、かと言って、何も過去のことを聞いてこないレイカの存在はただただ元気で、その頃の悟にとっては都合が良かったのかもしれない。

 広島市内は八丁堀、本通りの最初で最後にある街の中心アリス・ガーデンのイベントで、ギターを手に歌うレイカを始めてみた時、その時から、悟の人生は少しずつ上向きに変わっていった。

 だからこそ、しばらくの間、二人は寄り添い合っていた。

 


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